日本基督教団 福島教会

牧師メッセージ

4月に、新しくこの教会に赴任した福島純雄です。何のお導きか、福島教会の福島牧師です。どうぞよろしくお願い致します。
生まれたのは、1 9 5 6年の7月、秋田県の湯沢市です。教会の目の前を通っている国道1 3号線をまっすぐに行きますと、故郷の湯沢市です。生まれた時から親に連れられて教会に通っていました。
地元の高校を卒業後東北大学の法学部に入学し、その後様々な歩みを経て、1 9 8 7年から24年間お隣の郡山市にある教会の牧師を致しました。震災の年に、その半年前から転任が決まっていたのでつくば市の教会に1 1年いて、また福島に戻ってきました。
趣味はいろいろありますが、ジャズが好きで我流ですがドラムとトランペットを少々致します。つくばではシャンソン同好会に属し、また卓球もしていました。囲碁もほんの少したしなみます。
教会は決して敷居の高いところではありません。幼い子供にとって養育してくれる人が不可欠なように、幾つになっても私たちには神様という存在が必要なのではないでしょうか。
どうぞ礼拝においでください。お待ちしています。

     牧師 福島 純雄

福島教会のご紹介

 福島教会は、福島県福島市に位置する1886年(明治19年)に創立された改革長老教会の伝統を受け継ぐ教会です。1909年にW.M.ヴォーリズの設計による日本で最初の礼拝堂が建立されましたが、2011年の震災で被災し現在は新しい会堂になっています。

沿革

 福島教会は、1886年(明治19)5月23日に、現在の福島市大町(県庁通り)の石井薬局のあるところで「福島耶蘇教講義所」が設立され主日礼拝が守られるようになった時を創立の日と定めている。
すでに仙台(仙台東一番丁教会)、古川(陸前古川教会)、石巻(石巻山城町教会)、岩沼教会の四教会で日本基督一致教会(後の日本基督教会)の宮城中会が組織されていた。
日本基督一致教会は1872年(明治5)に誕生した横浜バンドの流れをくむ教会で改革長老派の宣教師のバラやブラウンなどが伝道した。
 福島教会は、この宮城中会に五番目の教会として参加し、それ以来、改革長老教会の伝統を大切にしながら教会形成に励んできた。初代の牧師は、仙台東一番丁教会を押川方義とともに創立した吉田亀太郎である。
 その後、1909年(明治42)12月に現在地(福島市宮下町1―6)にアメリカ人の建築家ヴオーリズの設計による礼拝堂が建築された。この礼拝堂は2011年3月11日の東日本大震災の時に倒壊するまで100年以上にわたり用いられものである。2001年には国の登録有形文化財に指定された。
   
さらに、1914年(大正3)に宮城中会のなかで独立教会になり、同年4月に教会設立式を行っている。城生安治牧師の在任中である。教会の独立を記念して「作新人」の鐘が城生安治牧師の友人より寄贈された。  太平洋戦争へと突き進む1941年(昭和16)6月にプロテスタントの合同教会として誕生した日本基督教団に加わり名称を福島日本基督教会から日本基督教団福島教会と変更し今日に至っている。また、日本基督教団の諸教会などより多大な経済的な支援を受け2011年3月に震災によって倒壊した礼拝堂を再建し、2015年3月20日に新会堂の献堂式を行った。似田兼司牧師の在任中である。

2016年4月より保科隆牧師を仙台東一番丁教会より牧師として迎えて、2022年4月からは筑波学園教会より福島 純雄牧師を迎え伝道と教会形成に励んでいる。

福島教会の鐘「作新人」

福島教会の礼拝堂の鐘楼にあった鐘には「作新人」という名前がついています。これは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙 二 5章17節)に由来するものです。
 この鐘は、口径約50センチ、高さ約48センチ、重量約59キロあり、日露戦争の戦利品を潰した砲金から造られたもので、まさに戦争の武器を平和の鐘としたものです。 太平洋戦争中、この鐘は軍の命令で供出させられ、全国から集められた金属類とともに溶鉱炉の炎と消えたとばかり思われていましたが、1946年に突然「返還する」との通知がありました。この鐘はアメリカ軍の戦利品の1つとしてワシントンに持ち去られていたのですが、経緯を知ったワシントンの教会の人々が、「なんということをしたのでしょう。この鐘は返さなければ。」と返還運動を行い、アメリカ海軍の手で横浜港に戻ってきたのでした。鐘は米軍の高官と日本基督教団議長らの手によって福島に運ばれ、11月10日に還付記念式が執り行われました。教会員の喜びはたとえようもなく、この模様を新聞は次のように伝えています。  

「なる、鐘がなる、自由と平和のシンボル  鐘がなる、平和の鐘が鳴る、10日朝、福島市民は鳴っては響き、響いては鳴る、優しい鐘の音に空を仰いで聞き入った。聞き馴れた音色なのだ、鐘が戻ってきたのだ・・・」

「作新人」の鐘  現在、この鐘は、新しく再建された新会堂の塔の中にあり、主日礼拝の開始前に福島の空に鳴り響いています。
   

日本基督教団信仰告白

福島教会では日本基督教団信仰告白を大切にしています。毎週の礼拝では使徒信条と主の祈りを共に祈ります。毎月第一主日の礼拝では信仰告白も併せて祈ります。

■日本基督教団 信仰告白

 我らは信じかつ告白す。
 旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るぺき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。
 主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ。御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり。
 神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ。
 教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。
 我らはかく信じ、代々の聖徒と共に使徒信条を告白す。

使徒信条

 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。

■主の祈り

天にまします我らの父よ
願わくはみ名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ
我らの日用にちようの糧かてを今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず、
悪より救い出したまえ
国と力と栄とは限りなく
なんじのものなればなり アーメン